月別アーカイブ: 2017年9月

こうやって生きろと指図されるのではなくどんな人生も応援する セシルのもくろみよりミヤジ

どうやら視聴率がかなり悪く、一話縮小の打ち切りだったという「セシルのもくろみ」ですが、最後の2話には宝石のごとく素敵な言葉がちりばめられていました。

 

8話は雑誌「ヴァニティ」にかかわりあってきたそれぞれプライベートの違う5人の女性が集まって話をするという構成。これがギンギンなライバル関係もあり最初はすったもんだするものの、女性たちは「結婚する、しない、子どもがいる、いない、主婦でいるか、働くか…どんな生き方を選択しても好き勝手に言ってくる人はいて傷ついてしまうこともありますが、他人の物差しで測るのではなく「自分が幸せだと感じたら幸せ」という意見で合意するのです。もちろん生き方の違いでお互い分かり合えない部分はたくさんあり、気が合うあわないもあるはずですが、この生きやすいようにみえて生きにくい現代を生きていくにはこんな風に一つの共感部分を(そしてその共感部分が心から原落ちできることが)大事なんだろうなと強く感じました。

このところの日本は本当に生きづらい。結婚しろ、でも働き続けろ、子供を産め。
なんでこんなこと国に指導されなくてはいけないのか。もっと自由に、もっと楽しく、自分の人生は自分のものでしかないから、その人生が成功だったか失敗だったかなんてその人が判断することでしかないのです。

 

そしてこの回を受けての最終回の9話に出た主人公ミヤジの言葉が

「どんな生き方でも応援する」です。

独身でも離婚しても子供がいてもいなくても、全ての人生がすばらしいと言えない今の日本は本当に息苦しい。なんでもっと自分で判断できないのだろう。なぜ「これがいい」というものに流れてしまうのだろう。そんな私のずっと抱えてきた違和感をこのミヤジの台詞がすっと流してくれた。

組織で働くことにも、妻になることにも、母になることにも向いてない人もいるんですよ。でもそういう人を「ダメな人」とレッテルを貼る時代はもう去って行くと思っています。そうじゃなくて自分の人生は自分で決められる。そんな人を応援していく仕事を私もしていきたいなと思っています。

 

とにかく、今の日本は「こうあるべき」が強すぎる。こうあるべき、なんて誰が決めたのか。ネット書き込みなどを見ていても本当に息苦しい。大きな声で言いたいのは「そのあなたが決めた人生がすべての人にとって幸せなわけではない!」ということです。

仕事や恋愛や結婚に悩んでいる方!ぜひメッセージください。一緒に考えていきましょう!

科学者は人間嫌いなわけではない ガリレオより湯川学

最近、夕方から再放送していたガリレオ。

つい先日、福山雅治の人気が下がったのはなぜか論を書いたばかりですが、このガリレオパート1のころの福山雅治は

キラッキラに輝いていました・・・。本当に目の覚めるようなカッコよさ。白衣メガネ好きな私としてはもう見てるだけで幸せになってましたねえ・・・。

 

で、そのガリレオ・・・湯川先生は偏屈で変わり者、という設定だったのですが、ある日、パートナー(?)である内海刑事に「あなたは人のために何かしてあげようとか思ったことはないのか?人に興味がないのか?」と涙ながらに抗議されたときに湯川先生は下のように答えます。

 

アイザック・ニュートンがりんごが落ちた瞬間見つけたのは、重力だけではなく、世界とのつながりだ。ガリレオ・ガリレイはピザの斜塔から2つの玉を落としたとき、友人に喜びの手紙を書いた。‥科学者の日常は単調だ。人と出会う機会も少ない。しかし、退屈な実験の繰り返しの中で見つかる世界がある。味気なく狭い研究室で、人とのつながりを感じることがある。

科学者は決して人間嫌いではない。
ニュートンがそうであるように‥。ガリレオがそうであるように‥。

 

湯川先生はかなり変わり者、と言われていますが、それよりは少しはましかもしれないものの、案外研究職だったり技術職だったりする人は、人と要領よくかかわっていくことが不得手だったります。でもその本当の姿は、優しくて思いやり深かったりするのです。ただ、不器用で一途なためにその本来の姿を理解してもらいにくい…そんな人が多いのです。

 

皆さんの周りにも要領はよくなかったり、口下手だったりするけど実は心の温かい人がいたりしませんか?

 

もちろん、要領の良さや人当たりの良さって人生において特になることは多いですし、相手と早く仲良くなれるとっても素晴らしい長所です。でも・・・人生のパートナーに選ぶのだったら、内に秘めた優しさ・・・そんなものを見抜いていくのも大切な要素だろうなと私は思います。

それに・・・湯川先生ほどではないものの、キラッキラの天才、才能のある人だったりするかもしれませんよ・・・身なりに気を配らないだけで実はイケメン・・・なんてこともあるかもしれない(笑)。湯川先生=福山雅治くらいのレベルの人はそうはいないでしょうが(笑)

とっつきにくいなーと敬遠せずに、研究職や技術職の人・・・少し近寄ってみませんか?あんがい素敵な人生のパートナーとなりうる人かもしれませんよ!!

 

もうどこにも行かないでくれよ。加穂子がいないと自分が嫌になる。自分の生きているこの世界も嫌になる 過保護のカホコより麦野初

このblogでも何度も登場している過保護のカホコですが、最近はカホコと初の恋愛モードがかなり高まってきていますね。

その中で、先日の放送で竹内涼真演じる麦野初の台詞です。

 

麦野初は幼い頃、母親に捨てられたという記憶を背負って生きている青年です。カホコとは同じ大学で初は画家を目指してがんばっています。

最初はカホコに「おまえのような甘ちゃんで過保護の女は俺は嫌いだ」と言っていたのに、カホコの素直さ、純粋さ、実は秘めた強さなどに徐々に惹かれ始め二人はつきあうことになりました。

 

ただ、家族との縁が非常に強いカホコと、家族の愛を知らずに育った初は、その家族への接し方と気持ちの持って行き方からけんか別れをしてしまいます。

 

とはいえ、カホコも初も二人とも互いが気になって仕方ない。別れてると言っても二人はお互いに好きなのです。

 

そんな中、カホコはひょんなことから初の育った養護施設に行くことになり、そこで初の母親の所在を知ります。

 

別れたことなど忘れた方のように初のところに飛んでいき、母親に再会するために一緒に母親の住む土地に向かう二人。

 

そこで二人が目にしたモノは、もうすでに新しい家庭を築いている母でした。今までの贖罪を求めて涙を流しながら謝る母。その母にたいして初は「もう謝らなくていい。俺もそっちに負けないようなすっばらしい家庭を作るから」といってその場を去ります。

 

そして帰りのバス停で。母との再会と別れを経験した初。きっと辛い気持ちやほっとした気持ちそんなことが入り交じっているであろう初をカホコはそっと包み込むように「泣いていいよ。。。」と伝えるのですが・・・

 

そこで初は大声を上げてカホコの胸で泣きます。でも理由は・・・お母さんのことメインじゃなかったんです。

 

そのときカホコに向かって言う初の台詞がこれです。

 

「もう別れるなんて言わないでくれよ。もうどこにも行かないでくれよ。加穂子がいないと自分が嫌になる。自分の生きているこの世界も嫌になる!」

 

そうです。初にとってもう長年あっていなかった母よりも、カホコの存在がどんなに大きいかってコトですよね。もう初にとってはカホコが自分にとってかけがえのない人になっているってコトなんですね~。

 

いやー、一生に一度でいいから言われてみたいこんなセリフ。麦野初はツンデレでかっこつけているのに実は心優しくて・・・という王道の少女漫画みたいなキャラなのですが、こんな風に弱さをさらけ出して泣かれたらかわいい系の男子に弱い私は、キュンとするどころか確実に落ちてしまいそうです(笑)

 

初にこんなことを言わせてしまうカホコ。彼女がかわいいからとかそういうこと(だけ)ではなく、ひたむきで素直、そして心が強いことが一番の理由なんでしょうね。回を追うごとにカホコの強さがよりいっそう際立っていく。まるで風と共に去りぬのスカーレット・オハラのような。表現は違えども家族への愛情と人としての強さ。ここはちょっと共通するような気がしています。

 

最後、あの毒親であるカホコの母に「結婚したい」と報告に行ったカホコと初。さてこのあとどうなるか・・・。さらに注目ですね!